気持ちを込められる場を作るのが、チームを作るということなのかも
先日、スクラムフェス三河というイベントで登壇してきました。
今回、話したテーマは「スクラムチームにスクラムマスターは本当に必要ですか?」
。コミュニティ仲間とスクラムマスターについて考えていることの共有とディスカッションをしました。
ぼくの主張は、「チームに質の高い対立構造を生むためにも、スクラムマスターは必要だ」というもの。意思決定について学んでいくなかで、このごろ考えていたことです。
この「対立」という言葉がけっこう引っかかるワードのようで、話を聞いていた方々からも「対立ってどういうこと??」という声が上がっていました。ネガティブなイメージがあるのかもしれません。
個人的には、スポーツで戦うときのような、爽やかな感じを想像していたので、思いがけない反応に「なるほど」と声が漏れました。
一緒に登壇した2人もそのワードを拾ってくれて、用意していたテーマそっちのけでぼくの考えを話しました。その流れで出てきたのが、「(チームのメンバーが)思いを表明できる状態を作る」という言葉。
ああ、ぼくが想像していたのはこれなのかもと感じました。自己主張のできないチームは力を発揮できない。言葉や態度、あるいはタスクのひとつ一つに気持ちを込めることができる場を作る。思いを表明できるようにする。これからは「対立」という言葉を使わず、爽やかに伝えていこうと思いました。